猫は猫
ねこはねこ

やはり私は自分の体で感じないと気づけないのだ
それが良いか悪いのか解らないなら あったてくだけてしまえ

でも時にはそれが人をつぶす事もある
人の優しをつぶし 自分の善をつぶし 最後に見えてくるのは自分の事しか考えていない自分


人を認めれる人は変わる
人を認められない人は人を否定しつづける
人を信用しない人は良い人をつぶし
無責任な人は責任からのがれる


どんな人間でありたいか選ぶのはその人次第だし
人それぞれ価値観は違う

価値観をおしつけるのではなくて認めれる人間でもありたい
しかしぶつからなくては認める事すらできないのである

だから人と関わりぶつかり交わる事で自分の価値観は作られていくのだと思う
一人で考え文学やバーチャルの世界で得た知識か
人と関わり体で感じ得た知識か
前者の考えも、学びとして必要な事だけど
後者の考えで実感しなくては前者は生きてこない
結局は自らが動き感じるしいかないのだ

人と関わる時点でぶつかるという責任が生じるのです
生きる責任 関わる責任 そこから目を背いてはいけないのです

関りは嫌な事もあるしめんどくさい事もある

憎しみや恨みや悲しさ悔しさ苦しさ 
それを感じさせてくれる人にも 感謝していたい


嫌なものは嫌でも
噛み砕いて飲み込んで吸収して排出するしかないのだ